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ブッディについて

レイ・ブラッドベリの「華氏451」(Fahrenheit 451)というSF小説があります。1953年に書かれた本なのですが、そこで描かれている近未来は、知識の象徴である本の所有と読書が禁じられている世界。 本は燃やされ、人々は‟テレビ室”にこもり、国家にコントロールされている情報に洗脳され、記憶力と思考能力を失い、愚民と化していきます。

これって、どこかの国民と国家の現状に疑似していませんか?

大学院で教員をしているときから、この愚民化が気になっていたので、ブッディについてのつぶやきです。

私たちが持つ最強の道具はお金でも武器でもありません。ブッディ=知性です。お金は生きていくのには必要ですが、必要以上にあればあるほど人を不安や人間不信に陥らせ、武器は一時しのぎの防御にしかならず、必ずヒムサ(他人を傷つけること)を生みます。 ヒムサからは憎しみが生まれ、憎しみからはさらなるヒムサしか生まれません。 歴史上幾度となく繰り返されてきた戦争や、今各地で起こる残虐なテロがその証拠です。歴史や危機から学び、何が正しいのかを見極めるのもブッディの役割です。

カトウパニシャッドでは、人生のゴール=モークシャへの乗り物を馬車として表しています。

馬車自体が私たちの体。

馬はあちこちに行きがちな感覚器官。

馬につなげられている手綱はマインド。

それをきちんとコントロールする御者がブッディ、知性です。

知性は私たちを行き先へと連れて行ってくれる大事な役割をします。使わなくてはいけません。

使い方は簡単ですよね。

物事を決めつけず、あふれる情報を客観的にみて、何が正しいのかを考えれば良いのです。その考えをお友達に話してみたりするのも良いでしょう。「どうしたの?大丈夫?」と心配されて、FaceBookでunfriendにされない程度に。そのようなお話が出来るお友達がいる方は幸運ですね。

テレビの情報や周りの人たちの言いなりになることに慣れてしまうと、このブッディがきちんと使えなくなってしまいます。

ブッディがきちんと使えなくなると、自分の感覚器官やマスメディアに振り回され、「華氏451」の世界の愚民のようになってしまいます。

今までの日本社会では、ブッディをきちんと使わなくても、ある程度無事に一生を終えることは出来たのでしょうが、これからの社会は、個々がきちんとブッディをきちんと使っていかないと、先人が築き挙げてくれた平和な社会も危うい兆し。

「華氏451」はフランソワ・トリュフォー監督によって映画化もされているので、興味のある方は見てみて下さい。シュールな近未来描写に、日本の現状が見えるでしょう。

レイ・ブラッドベリの「華氏451」の1シーン

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