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よくある質問:アーユルヴェーダとヴェジタリアン

Q: ヴェーダの教えの中では菜食が当たり前、となっているのですが、アーユルヴェーダではなぜ肉を食べることが処方されているのですか?

という質問をヴェーダーンタとアーユルヴェーダを勉強している人から頻繁に受けます。そして、周りを見渡すと、アーユルヴェーダを勉強している人の多くがヴェジタリアンではない、という事があります。私はアーユルヴェーダは処方と施術を受けたことがあるぐらいで、勉強はしたこともないし、書物を読んだこともありません。ですので、実際にどのように書かれているのかは、私の専門ではないのでここでは触れないでおきます。ただ、そんな私でも分るのは、アーユルヴェーダは健康・長寿のためのプラマーナ(知識を得るための道具)である、という事です。名前がアーユス(生命・健康)ヴェーダ(知識)ですからね。なので、何かしらの体の不調があって、その不調を取り除くためには肉が良い、という処方があっても不思議ではないように思えます。そして、その疾患は一時的に良くなるのかもしれません。ただし、その処方にはヴェーダが教えてくれる、すべての物事の背後にあるカルマ(良い行い・良くない行いの結果)の法則への考慮は全く抜きにされているように見えます。

生き物を殺生する事はヒムサ―(暴力)です。その延長線上にある肉を食べるという事もれっきとしたヒムサ―です。よく「食べているだけで、殺していないんですけど。スーパーで買っているから。」というナイーヴな言い訳を聞きますが、精肉をスーパーで買う行為は誰に強制されているものでもなく、自由意思を持つ人が行っていて、経済的に消費者としてと殺に貢献しています。そのヒムサ―をするとどうなるかというと、その結果がパーパ(良くない行いの結果)として自分に返ってきます。どのように返って来るかというと、病気を含む自分に好ましくない状況として帰ってきます。絶対に自分の身に返ってきます。今世でなくても、来世、来来世ぐらいに。絶対に!なので、表面的でなく、根本的な疾患の原因であるパーパを減らしたいのであれば、ヒムサ―(肉を消費する事)は極力避けるべきなのです。

また、アーユルヴェーダの古典書に肉を食べることが処方されていたとしても、その肉は現代の家畜の肉とは全く違う環境で育った動物の肉の事を指しているのだと思います。昔は肉と言えば野生の動物で、森に入って命がけで狩りをした動物なのだと思います。その肉は現代の過酷な飼育方法でストレスと恐怖で精神を病み、ホルモン剤や抗生物質付けになっている家畜とは全く別のものでしょう。健康・長寿の叡智が、そのような動物の屍骸を食べることを処方する事は、健康面で見ても信じがたい事です。

アーユルヴェーダは健康・長寿のためのプラマーナである一方、ヴェーダ・ヴェーダーンタが教えてくれる(治してくれる)のは一時な表面上の体の不調ではなく、全ての人間が持って生まれる根本的な葛藤(正義vs私欲)とBhava Roga(サムサ―ラ、どうにもこうにも抜け出せない、私たちを束縛する苦悩)から自由になるための生き方とその方法です。そのヴェーダで教えられている生き方をしてきた人たちが根本的な葛藤(正義vs私欲)から自由になることが出来、その落ち着いたマインドで理解が出来るのが、サムサ―ラから自由になれるヴェーダーンタの教えです。サムサ―ラから自由になる事がモークシャです。ですので、ヴェーダの教えに沿った行き方は、モークシャへと私たちを導いてくれます。ヴァ―ダには莫大な知識が詰め込まれていますが、その中でも一番分かり易く、そして必ず守らなくてはいけないのがアヒムサ―です。

なぜアヒムサ―が重要なのかは、カルマの法則という観点で上述しました。パーパを得てしまうからです。パーパまみれになってしまうと、正しい考えを持つことも、正しい教えにたどり着く事さえも出来なくなってしまいます。また、正義vs私欲の観点では、アヒムサ―は正義が私欲に打ち勝っている状態で、ヒムサ―がその逆で正義が私欲にものの見事に打ち負かされてしまっている状態です。何かを傷つける背後には必ず私欲(自分を守りたい、利益を得たい、現状から抜け出したい)があります。それがダルマ(正義)に反していたらやらない、と決断実行ができれば、ヒムサ―は自然と減っていきます。肉を食べることに関しては、「おいしいから食べたい」(私欲)に「生き物の尊い命を奪ってまでは嫌だ。」(ダルマ)が勝っていれば、自然と菜食になっていくでしょう。

もう一点、アヒムサ―が重要な理由は、自由意思を持った人間として生まれてきたから、が挙げられます。自分が傷つけられたくないという事は生きとし生けるものが共通して知っている事実です。そして、自分だけが傷つけられたくないのではなく、同じように他の生きとし生けるものがみんな傷つけられたくないのだという事を知り、思いやりが持てるのは私たち人間の特質です。最も秀でている特質なのです。それを誇りに思い、人として生きていくために肉を食べない選択は尊い選択なのです。

まとめ:

Q:ヴェーダの教えの中では菜食が当たり前、となっているのですが、アーユルヴェーダではなぜ肉を食べることが処方されているのですか?

A:アーユルヴェーダとヴェーダの最終目的が違うので、その手段も違うのです。アーユルヴェーダの最終目的は健康と長寿であるのに対し、ヴェーダの教えはモークシャです。モークシャがゴールであるのであれば、パーパを得てしまうヒムサ―(暴力)は避けなくてはいけません。肉を食べることはヒムサ―です。なので、ヴェーダの教えでは日常生活でのヒムサ―を極力避けるために、菜食は当たり前、となります。アーユルヴェーダの最終目的はモークシャではなく、健康と長寿なので、アヒムサ―と体の回復を天秤にかけたら、体の回復の方をとるので肉を食べることが処方されているのでしょう。

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