通訳、痛薬、をして思った事
いろいろご縁があって、今年の初めから通訳をする機会が沢山ありました。私はきれいな日本語が喋れるわけでも、英語が堪能なわけでもないけれど、通訳をする機会が与えられると、引き受けてしまいます。多分、同じことを伝えるのであれば、自分の言葉で言った方が楽だなーと生意気にも思う事もありますが、他の先生方の言葉を皆さんに伝える役目は、責任重大です。そして聞きながら話す事は容易な技ではありません。なので、そこにはとても不思議でなおかつ自然な「ニミッタ(媒体)」感があります。
バガヴァッドギータ―11章33シュローカの中でクリシュナは
nimittamatraM bhava
とアルジュナに言います。行いに対しては、ただ単に結果に対しての「ニミッタ(媒体)」であれと。きちんとイーシュヴァラを理解したうえで。
通訳だけではなく、マハーバーラタの戦いを含むすべての行いに対して自分はニミッタである事は事実なのだけれども、自分の知識や能力を含むアハンカーラ、体調、周りの人や置かれている環境を考慮すると、ただ単に自分がニミッタであることを認識して行いをするのは容易ではありません。「私が成功を導いた」「私のせいで」と良い意味でも悪い意味でも全て自分のお手柄にしてしまいます。イーシュヴァラを理解して、自分が置かれている状況、周りの人、自分の能力を含むすべてはただ単に与えられているという事が認識できていれば、二ミッタとして行いをする事は難しくはないのですが。そして、その場で自分が出来ることを100%することも。
通訳の役割はいかに話し手の言葉を忠実に分かり易く聞き手に伝える事だと思っています。そこに自分の都合に合わせた言いたいこと、言いたくない事の選択はありません。ただ単に「ニミッタ(媒体)」となる事が一番重要、そんなことを通訳という役割を通してしみじみと実感できました。
そして、自分がクラスをするときも、日常生活での仕事をこなす時でも、私のグルであるPujya Swami Dayananda Sarasvati jiの教えを皆さんに共有するニミッタ(媒体)である事を実感して、クラスや行いをしていこうと思いました。日本でヴェーダーンタが広まった歴史は浅いはずですが、チンプンカンプンな教えがすでに氾濫しているそうです。Swami jiの教えが、ヴェーダーンタの正しい教えが皆さんにきちんと伝わりますように。