モークシャとカルマヨーガ
バガヴァッドギータ―では沢山の事が教えられています。トピックで分けられている章だけでも18もあります。しかし、バガヴァドギーターの教えの神髄はモークシャです。モークシャは人として生まれてきて得ることが出来る最高のゴールです。そこで教えられているのは、モークシャが人生のゴール(プルシャ・アルタ)なのであれば
○自分の置かれている立場をきちんと受け入れて、それに応じてやらなくてはいけない事をして生きましょう。
です。
間違っても
×社会から退いてヴェーダーンタの勉強だけをして静かに余生を過ごしましょう。
ではありません。
なので、クリシュナはアルジュナに
戦いなさい!युद्धस्व
と何度も言っています。もし、シュレーヤス=モークシャを得るには
×社会から退いてヴェーダーンタの勉強をして静かに余生を過ごしましょう。
という生き方が万人に共通しているのであれば、クリシュナは
「じゃあ、リシケシにでも行って、ウパニシャッドを勉強しましょうか」
とアルジュナに言っていたでしょう。
ヴェーダーンタの聖典であるウパニシャッドでは
社会から退いて、グルの下に行き知識を得る事だけに従事しなさい。
という教えがあります。そして、勉強に徹する人たちは社会的に敬られ、家庭を持ち社会に身を置いている人(グラハスタ)達によってすべてのサポートがなされます。アルジュナも、このくだりを知っていたのでしょう。戦わずに勉強に徹した生活を望みます。
ここで留意をしなくてはいけないのは、
ウパニシャドは
○自分の置かれている立場をきちんと受け入れて、それに応じてやらなくてはいけない事をして生きましょう。
という、カルマヨーガな生き方をしてきて、イーシュヴァラの事を理解し、自分の私利私欲に振り回されない落ち着いたマインドを培うことが出来、ダルマな生活によってプンニャも得ることが出来た人達=人として成長した人達に向けて教えられているという事です。勉強をする上で、他の事で頭がいっぱいになったりしないアディカーリの人たちです。
なので、
×社会から退いてヴェーダーンタの勉強だけをして余生を過ごしましょう。
は、きちんとカルマヨーガな生き方をしてきた人たちには○となります。
バガヴァッド・ギータ―の中でクリシュナは
カルマヨーガをきちんとしていなければ、サンニャーシ(社会から退いてヴェーダーンタの勉強だけに徹した生き方をする事)ことは苦悩そのものです。カルマヨーガをきちんとしていれば、最終的には知識を得ることが出来、最高のゴールである、モークシャにたどり着くことができます。(5-6)といっています。
モークシャを目標としている人たちにとって、何が一番苦悩なのでしょう?
モークシャに到達できない事です。
社会の中や家庭生活は自分のやりたいことを優先するのではなく、自分の立場をきちんと受け入れて、それに応じてやらなくてはいけない事をする絶好の機会です。やらなくてはいけない事を都合よく、自分がやりたいことにすり替えてしまう場合がありますが、やるべき事ではなくやりたい事をやっていて損をするのは、自分なので、きちんとやるべき事とやりたい事の識別をつけるべきです。やるべき事がやりたい事である場合は恵まれていて、難なく出来ますが、やるべき事がやりたくない場合、すり替えてしまう場合があります。これは誰に言われる事ではなく、自分が一番よく知っている事だと思います。
そして、やるべき事を避けてしまうのは、カルマヨーガな生き方ができるチャンスを放棄してしまっている事になります。
カルマヨーガな生き方できちんとマインド準備と十分なプンニャを蓄えていないと、いくらヴェーダーンタの勉強をしても、その教えの神髄、モークシャが自分であるという事を知ることができません。それ以上苦しい事はありませんね。
今の日本では、好きな事だけして生きていくことが推奨されているようですが、もしそれがやるべき事を無視してやっているのだとすると、人として成長することは出来ません。モークシャを求めるのであれば、まずは自分の置かれている立場を客観的にとらえて、社会に貢献するためには何をしなくてはいけないのかをきちんと知らなくてはいけません。そして、それに従事をして生きていけば、マインドがきちんと落ち着いて、プンニャも得ることが出来るので、きちんと勉強ができる環境が整っていくでしょう。